※なかなかまとめては入手困難です
ブルトマン共に読むヨハネ福音書 上中下 白井きく 白順社
こちらは1994年発行を鑑みても状態良いです(経年劣化あります)
ヨハネの黙示を読む 白井きく 白順社
こちらは1987年発行を鑑みても状態良いです(経年劣化あります)
オリジナルへの復元に向けて ヨハネ福音書の原形 白井きく 白順社
キリストの啓示 永遠の世界の存続を告げる神の知恵 白井きく 白順社
使徒行伝の読み方 白井きく 待晨堂
ローマ人へ 白井きく 待晨堂
マルコ福音書 白井きく 待晨堂
ピリピ人への手紙を読む 白井きく 白順社
ルカ福音書 上下 白井きく キリスト教夜間講座出版部
シミ・汚れ・書込み・線引きの本含みますが通読に問題ないです。
白井きくは、無教会の霊性を生きた伝道者です。
内村鑑三・塚本虎二両師からは、帝大出の聖書学者や優秀な伝道者が輩出した。かるがゆえに、世間的には無名に等しい白井きく女史の信仰の境地がこの両師よりも高いなどということは、無教会においてはあってはならないし、あるはずもないことなのである。彼女は優れたキリスト者であったにしても、塚本虎二の弟子の一人にすぎないではないか、というのが大方の評価であろう。
白井女史は、ヨハネ福音書に基づいて、救いの現在性の立場に立っておられる。イエスの再臨と世の裁きはイエスの使信を聞くとき、換言すれば、聖霊(弁護者)の到来によって実現するのであり、時間的な未来のことではない。つまり、御子を信じる者は今、永遠に生きているが、信じない者はすでに裁かれているのである(ヨハネ三・一八~一九)。黙示文学的な再臨も最後の審判もないのである。キリストの再臨運動を提唱した内村師とは全く異なるのである。なぜこのような相違が生じたのか。内村師と白井女史の違いは、共観福音書・パウロ的終末論とヨハネ的終末論との違いである。この二つの終末論は全く別ものであり、折合いのつけようがない。キリスト者は、真剣に救いを求める限り、いずれかの立場に立たざるを得ない。カトリック教会はもとより、プロテスタントの教会も、共観・パウロ的終末論に立っている。その方が教会という組織体にとって都合がよかったからであろう。無教会の内村師も、終末論については教会と同じようである。(引用)
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