祖父母家で以前使っておりました
蔵出しの欄間です。
蔵から出てきて、調べたらとても歴史あるものだとわかり、誇りや蜘蛛の巣等ついたままですが、
払って傷や折れてしまったら怖いので、
このまま写真を撮りました。
発送もこの状態でお送りします。
木ですので、リペアしてまだまだお使いいただけると思います。
【大島五雲 井波彫 特殊彫り 欄間】
竹に雀 木彫り 彫刻
裏も表も立体的に彫られていて、とても素晴らしい作品です。18.19枚目が裏の写真です。
祖父母の家は大正時代の頃からありましたが、
この欄間の材質、制作時期はわかりません。
3.4箇所竹の葉の先端部分が折れています。
写真をご覧ください。
永く蔵に保存していたので、木の色合いの劣化、カドのズレなどもありますが、ご興味ある方からしましたら、
貴重な欄間だと思います。
あまり手を入れず、メルカリの家財便で、現状のまま発送します。
かなりの年代物となりますので、神経質な方や完全をお求めの方はお断り致します
宜しくお願い致します。
サイズ
横幅 172㎝
縦幅 40.8㎝
厚み 4㎝
■ 井波彫刻とは
明徳元年(1390年)本願寺五代綽如上人(しゃくにょしょうにん)は、後小松天皇の勅許(ちょっきょ)天皇より命令が下ることにより井波別院を創設したが、いく度か焼失しそのつど再建された。特に江戸時代中期、瑞泉寺本堂再建のおり、本堂彫刻のため、京都本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣(命じて出向かせること)され、このとき地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりである。
寛政四年(1792年)瑞泉寺勅使門(ちょくしもん)菊の門扉、両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は七左衛門の代表作で、狩野派風な図柄で浮き彫りの技法が駆使され、日本彫刻史上の傑作とされている。
以後、その門流が江戸時代末期頃まで主に神社仏閣彫刻などにその技法を競っていた。明治時代に入ってから寺院欄間に工夫をこらして新しい住宅用の井波欄間の形態が整えられ、特に初代・大島五雲は欄間彫刻の研究に没頭して新生面を開いた。現在、寺社彫刻から民家の室内彫刻へと多くは移り変わっており、なかでも住宅欄間はその主力となっている。
#骨董品
#和モダン
#古民家
#リノベ
#アンティーク欄間
カテゴリー:
家具・インテリア##カーテン・ブラインド##その他